2018年2月5日月曜日

純粋にただやるので全然いい

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あけましておめでとうございます。というにはあまりにも過ぎ去ってしまった時間。

去年の10月から、親しい人にだけ配信するラジオをはじめました。
私がひとりで話したり、本を朗読したり、
親しい人たちをゲストに招きおしゃべりをしたりしています。
どうでもいい話から大事な話まで、幅広く。

これが自分を含めた半径3メートル以内の人々に、
とても良い影響をもたらしてるということを我ながら実感しています。
この世界のことも自分のこともわからないけど
ラジオのことだけは確信があり、決断できる、進めることが出来ます。




始めたのは複数のことが一度に重なったからだと
そのときから時間が経過したことで改めて思います。
元々、私は記録媒体が好きです。ビデオ、写真、録音、
身の回りのことを記し残すことは小学生の時から愛してました。
マルチメディア部というのをひとりでやってた。
そこに意味や目的や上達などという概念はなく
「ただやりたい」という曇りなき一点のみ。

小規模でも、限られた人しか知らなくても
自分の好きなように発信をしてる人は今はたくさんいますし
そういう人たちの表現を私も心から楽しんでいました。
それは誰よりも上手だからやるのではないし
有名だからでもない、稼ぎたいからでもなく
本当にただそうしたいだけでした。

「大勢の人に見てもらわないと意味がない」
「充分に稼げるものでなければ意味がない」
私はそういう考え方でずっと生きてきて、
もちろんそれは充分成立するし大事なことだけど
私は全然楽しくなれなかった。

数が物を言う世界で私は全然風通し良く生きていけない。
そのことで、自分自身をよく責めていました。
すでにある世界に馴染めなくてすごく困っていた。


こうやって書くと大衆的なものやお金を否定してるように捉えられそうだけど
本当にそういうことではない。それらとの付き合いが下手だし、苦手だけど
共感してないだけで存在は否定してない。
というか、大衆的なものだって、お金だって、どっちも好きだ。
好きだけど上手く付き合えないので要するに片思いみたいなものだ。







話が脱線しました。
そういう大規模ではないけど深い繋がりを直感的に
感じるものにたいして正直になるべくラジオを始めたんです。
そこにおいて大事なのは意味や損得や数ではなく
私が感じる繋がりだけです。



ラジオを聞いた親しい人たちから
「癒される」「救われる」と言ってもらえることがあって
それこそが私にとっても救いです。

みんな繋がっているようでいて、実のところは
繋がりを感じられる機会が少ないんだなとも感じました。
私も人のラジオを聞いてそう思うんです。ラジオってとても不思議。
喋りたいことがありすぎて、ついにひとりで喋り始めてしまったよあの人……
という感じかと思っていました。まぁ実際それもあります。


SNS普及して、すぐ繋がろう繋がろうって言うけど
本当に信頼できる間柄、信頼を感じられる関係、
好きだという気持ちが胸の奥から湧いてくる
そういうエネルギーがギュッとつまった
小さい塊で全然いいじゃないのよと思います。
おにぎりみたいなものです。
好きな人同士で固まったら結界になるらしい。




発信している人、何かを生み出している人は
「すごい」とよく言われると思いますけど
本当にそうかなとも思ったりします。
そこへかける情熱、心配り、技術の高さ、手間ひま、
それらを総合した言葉だというのは理解はあります。


でも、だからって「自分よりこの人すごい」
とは限らないんじゃないかと思ったりします。

敬意を表して尊重することと、自分を低く見積もることが
イコールになる必要は全くないと思っています。
その人と同じことができなくていいし
自分に合った方法で自分なりに輝くことができるし
そんなあなたの姿を見て、かつて自分がそうであったように
救われる人が必ずいるはずです。



発信者はあげているだけではなく同時にもらっているし
応援してる人とされてる人は、全く同じ立場で
お互いを救い合っているので同等だという考えなんです。乱暴かな。


だからもっと気軽に色んなことを好きにやっていいんだと最近は思っています。
好きなことで稼ごう、とか、やりたいことだけしよう
みたいなものとは微妙にニュアンスが違うのですが。

純粋な気持ちでただ始めるのがいいと思っています。
人気が出ようが出まいがそんなことは最初はどうでもよくて。
とくに今は沢山の人に一気に届けるより
届くべきところにちゃんと深く刺さることが重要だと感じています。


だから自分が選ぶときも、買い物でもライブでも
なんとなく流されるように選ぶのではなく
つながりを感じるものを意識的に選んでいくと、
選んだものが自分を導いてくれる気がします。

私は人を応援したり、人から応援されたりしながら
助け合いながら生きていることを精神面から強く実感しています。







こんなにいっぱい語っておいてあれですが
ラジオのことなら色々思い付く私も、絵のことはまだよく分かっていません。
限られた世界のラジオとは違って実際に社会へと広がっていくものなので
そこの捉え方がまだ不明瞭です。

社会やお金が苦手なので、あれこれと悩んでしまってると自分では思います。
現実、恐ろしい。まだまだ子ども…。いい年だけど。

きっと実際は悩む必要もないシンプルな答えだと思いますし
思考よりも行動なのでしょうけど、内面がクリアになってから
行動へと移っていく性質なのでまだ動きがなさそうです。
これが私のやり方なんだと、最近は諦めている。
人生の中で潜伏期間はかならずあるんだからどうせなら深く潜る。
はじめは亀の鈍さだけど雷が落ちたらチーターになって全速力出す。


私は私の絵をどうしたらいいかよくわからないから
これも人の反応を見ながら決めるのかもしれない。
会社でやっていたときのやり方を形だけそのまま引き継いでいたけど
きっともっと自分らしい方法でやりたいんだと思う。
きっとなにかあるはずだけど、まだ見えてこない。
知名度ないしお金も減ってきてるけど焦って決めたくない、
素振りだけはとにかくしておけよ、というお達しなのかな。
私しか知らない意地悪な謎解きのようです。




こんなことを日々考えて生きています。

今年もよろしくお願いします。





おまけ

ただひたすらに美味しい按田餃子の定食。






最近、瞑想を習ったので毎日の瞑想日記をつけている。
ポストカードは熊谷守一展覧会で買ったポストカード。
五匹の魚にも、一匹の魚の動きにも見える不思議な絵。

瞑想についても始めてから色々発見があったのですけど
ラジオとかで話そうかと思います。
 
 
 
 
 
 
🐟
 
 
 
 
 

2017年9月16日土曜日

生きているの意味






時々なんで死んでしまうのに生きてゆかなくてはならないのか
心底不思議でしょうがないとおもう瞬間がある。

すべてが無に還るのに、いずれ忘れられるのに、何も残らないのに、
本当に本当に生きてるのって意味があるのか?


2017年9月6日水曜日

意識は愚鈍 無意識は光より早い






ちょっと前の話ですけど
 暑中見舞いをつくりました。
今年の夏のお便りです。

どういうイメージなのか、毎年その季節になったあたりで考えます。
今年はちょっと重たい感じにしてみたくて血のような濃淡が浮かびました。
具体的なものを描くと、モチーフがどういう意味なのかを尋ねられますが
毎度うまく答えられなくて、すいませんという気持ちです。

絵って難しいな。



まだ手元にありますのでもらってくださる方がいれば是非!
下記のメールアドレスか、インスタのDMなどからもどうぞ。






2017年7月10日月曜日

それを求めてない人に施しを与えない












人を好きになるのは難しい。
これは誰かの言葉を借りたわけじゃない。
今まで、できていると思っていたんだけど
意外とできていなかった。

2017年5月23日火曜日

あなたはよく生きている方だと思う








舟がフワッと上がった瞬間があったら逃さぬように
色々書きとめておいたり感覚を焼きつけておきたい。




 
 
Copyright © チャーリー・ブラウン
Blogger Theme by BloggerThemes Design by Diovo.com